神戸家庭裁判所 昭和41年(家)20号 審判 1966年7月16日
申立人 田村よしえ(仮名)
相手方 木村治男(仮名)
主文
相手方は申立人に対して金八万円を支払え。
理由
申立人は「相手方は申立人に対し金一一万九、五九〇円を支払え」との審判を求め、申立の実情として「申立人と相手方は昭和三九年三月二七日調停離婚したが、財産分与の合意ができなかつた。しかし、離婚当時相手方名義で神戸銀行に定期預金二〇万円、普通預金三万九、一八五円があり、相手方はこの預金で現住居を買い入れて所有している。一方申立人は相手方から同居に堪えない仕打ちを受け、無一文で離婚することになつたので、財産分与として、上記預金の半額に相当する一一万九、五九〇円の支払を求めるため、この申立に及んだ」と述べた。
相手方は、申立の却下を求め、
「一、申立人は調停離婚の際、一切の金銭的請求を放棄したから、財産分与請求権がない。
二、仮りにそうでないとしても、申立人は老年になつた相手方を見限つて離婚したものである、相手方には経済的余裕がない。また申立人の連れ子の正男を幼時から養育し、その費用を負担してきているから、財産分与の必要がない」と述べた。
(当裁判所の判断)
一、申立人の財産分与請求権
昭和三九年三月二七日成立した昭和三八年(家イ)第九〇六号夫婦関係調整調停事件における調停調書の記載によると、申立人と相手方との離婚および養子正男の親権者のみを定め、財産分与その他金銭問題について触れていない。したがつて申立人が離婚に伴う財産分与請求権を、調停上の条件として放棄したということは認められない。また申立人が調停の合意以外の機会において、これを放棄したと認めるべき資料もない。もつとも、上記調停事件の申立書によれば、申立人は離婚の申立に付随して金一〇万円を財産分与として支払を求める旨の記載があるが、申立人本人審問の結果に参考人木村行男の供述を綜合すると、申立人は、相手方が容易に請求に応じないので、その点は後日相手方の親族からの協力を得て解決したいと考え、離婚のみの調停を成立させるに至つたことが認められるので、上記認定の妨げとなるものではない。相手方本人の供述中これに反する部分は採用できない。(なお、申立人は昭和三九年一二月三日改めて財産分与の調停の申立をしたが、相手方不出頭のため、昭和四〇年一二月三日取り下げている。)
二、申立人と相手方の婚姻生活および離婚の実情
申立人本人の審問結果および前記調停事件記録中家庭裁判所調査官補松島康子の調査報告書ならびに戸籍謄本の記載によると、申立人(明治四一年二月生)は昭和二五年一月先夫の子正男(昭和二一年一二月生、戸籍上は養子)を連れて相手方(明治三三年三月生)と結婚し、正男も同時に相手方の養子として入籍した。その頃相手方は○○電機に工員として勤め、神戸市○○区○番町○丁目で長屋住まいをしていたが、部屋にはむしろを敷き、台所用具もそろつていないような状態で貧乏であつた。相手方の給料は食費をまかなうのに精一杯であつたので、申立人は和裁の内職をして家計を助けた。相手方は酒も余り飲まずこれという遊びもしなかつたが、肉親との交際も好まないような変屈なところがあり、生活の苦しさと相待つて申立人は苦労したが、相手方も感謝するほど妻としてよく尽した。
ところが、連れ子の正男が中学を卒業して働らきに出るようになり、同人に対する申立人の世話の仕方が違つてくると、老境に入つた相手方は、次第に家庭の中で疎外感を持つようになり、申立人や正男を対立的に見るようになつて来た。そのうち、昭和三八年五月正男が肺結核で入院したとき、相手方の費用を出そうとしなかつたことから、夫婦は家計を二分し、食事も別にするようになつた。同年一〇月二〇日頃入院中の正男が外泊で帰宅したときき、相手方は、申立人と正男の仲や近所の男性との仲を邪推し、ありもしないことを挙げて申立人を侮辱する言葉を口にしたため、申立人はついに離婚を決意し、同年一一月二〇日前記調停の申立をなし、昭和三九年三月二七日離婚の調停が成立した。相手方と正男との養子縁組は協議離縁した。相手方本人の供述中上記後半の認定に反する部分は採用しない。
三、夫婦の協力によつて得た財産その他の事情
申立人および相手方各本人審問結果、昭和三八年(家イ)第九〇六号、同三九年(家イ)第一〇二九号事件の各調査記録を綜合すると、つぎの事実が認められる。
前記のように結婚当時夫婦の生活は貧しかつたが、申立人は、その中から三、〇〇〇円程度の貯金をするように努力し、和裁の内職に励んだ。昭和三八年一一月に別居当時、こうした貯金が相手方名義で、神戸銀行に定期預金で二〇万円、普通預金で三万九、一八五円あつた。この預金と借家権のほかには夫婦の財産は何もなかった。相手方は、申立人に穏し金があるように言うが、認めるべき資料がない。
その後相手方は、調停中の昭和三九年一月四日に定期予金を、二月一一三日に普通預金をそれぞれ解約してしまつた。そして同年一一月に、それまで申立人と生活していた家屋を家主から一七万円で買い取り、ついで都市計画による立退清算金四二万円の支払を受け、旧資材等で現在地に木造瓦葺モルタル平家建の居宅(床面積約二九、七五平方メートル)を建てて居住している。敷地約三八平方メートルは官有地であるが、相手方はこの借地権価格をおおむね二〇万円ないし二五万円位と述べている。相手方はこの家でひとりで暮し、失対人夫に出て、日給五八〇円を得ている。身寄りとしては、先妻との子行男(三五歳)が○○信用金庫に勤めており、ほかに寺院の住職をしている弟田中行生がある。
一方申立人は、昭和三八年一一月二四日身廻品だけを持つて現在のアパート(敷金三万円、家賃四、五〇〇円)に移転し、引き続き和裁の仕立をして月収平均一万五、〇〇〇円余を得ている。子の正男は昭和三九年秋頃限院して申立人と同居し、町工場に勤務して月収一万五、〇〇〇円位である。他に身寄りはない。
四、結論
申立人と相手方が夫婦として協力して作つた財産は上記預金であり、また協力して維持してきた財産は借家権である。その額は、客観的に多額とはいえないが、余裕のある家庭と異なり、申立人にとつても、相手方にとつても、婚姻生活を通じて辛うじて取得した汗の結晶とも、労苦の結果ともいうべきものであつて、その主観的価値は互いに大きい。ところが上記認定事実からすると、これらはすべて相手方の独占するところとなつてしまい、申立人は無一物で離婚するに至つたことになる(相手方は家屋買受資金のうち一二万円は弟から借用した旨を言うけれども、ことは同じである)。しかも離婚のいきさつは上記認定のとおりであるから、夫婦の離婚に際しては、相手方から申立人に対して相当額の給付をなすべきであり、その額は八万円が相当と認める。相手方の現金所有の有無については資料がないけれども、現に家屋を所有し、又長男や弟もあることを考えれば、支払能力がないとは言えない。なお、養子正男の養育に要した費用は、夫婦の婚姻生活による費用であるから、財産分与を拒否する理由にならないことはいうまでもない。
よつて主文のとおり審判する。
(家事審判官 坂東治)